ウズベキスタン旅行私的おすすめスポット②
目次
縮小したアラル海
かつては世界第4位の面積だったアラル海の湖面は、現在では約10分の1に縮小してしまいました。
アラル海は、東部山岳地帯から流れ込むアムダリア川・シルダリア川によって豊かな水量を誇っていましたが
1960年代半ば以降に灌漑用水の取水が本格的に始まると、急速に面積が縮小しました。
1970年代末には漁獲量はほぼ皆無になり、1990年代末には
ほとんどの水生生物が生息不能な環境にまで塩分濃度が上昇しました。
アラル海の復活に向けて水位調整堰建設などの対策が採られていますが
ソ連崩壊後、アラル海問題は国内問題から独立した流域国の水資源分割を巡る
国際問題となり、各国の利害対立を調整することは容易ではありません。
おすすめスポット
⑪ヒヴァ
ヒヴァは、サマルカンドやブハラに並ぶウズベキスタン屈指の観光地。
カラクム砂漠の北に位置し、古代から砂漠の出入り口として発展してきたオアシス都市です。
16世紀初頭にはヒヴァ・ハン国の首都として繁栄しました。
外敵の侵入を防ぐため19世紀に二重の城壁が作られ、内側の城壁に囲まれた
旧市街は「イチャン・カラ」、外側の城壁内は「ディシャン・カラ」と呼ばれています。
イチャン・カラにはモスクやメドレセ(神学校)などのイスラム建築が立ち並び
1990年にウズベキスタン初の世界遺産に登録されました。
太陽の国と呼ばれるホレズムの中心都市で
音楽や舞踊、工芸品などホラズム地方独特の文化も魅力です。
⑫イチャン・カラ
イチャン・カラは、歴史の息吹をそのまま残したような地です。
城壁内がほぼ無傷で保たれていて、オタ・ダルヴァザ門(西門)をくぐると
まるで博物館に足を踏み入れたかのような錯覚を覚えます。
中央アジアや西アジアにもイチャン・カラ(内城)は存在しますが
ヒヴァほど完璧な保存状態のイチャン・カラはありません。
街全体が博物館のような都市であることから博物館都市とも呼ばれています。
街の中心には、ミナレットやメドレセ、モスクが建ち並びます。
ぜひ訪れたいのは、アクシェイフ・ババの見張り台です。
急な階段を登るとイチャン・カラ全体を一望でき、カルタ・ミナル、ジュマモスクのミナレット、
イスラーム・ホジャ・ミナレットの三本のミナレットが建つ圧巻の光景が目の前に広がります。
⑬カルタ・ミナル
オタ・ダルヴァザ門(西門)をくぐると、最初に目に飛び込んでくるのは
鮮やかな青のタイルで覆われた未完成のミナレットです。
この塔は1852年にその建設が始まりましたが、ムハンマド・アミン・ハーンの死去により
1855年に工事は中断され、そのまま時を止めています。
本来ならヒヴァで最も高い塔になるはずだったこのミナレットは途中で工事が中断されたため
まるで真っ二つに切り裂かれたかのような形で立っています。
その姿は、「カルタミナル(短い塔)」という愛称で親しまれています。
ベージュの城壁との対比が美しいこのミナレットは、昼間は太陽の光を浴びてその青が一層輝きます。
そして夜になると、ライトアップされ、昼間とはまた異なる神秘的な青の美しさを浮かび上がらせます。
この塔は、時間を超えて変わらぬ美しさを持ち続ける、ヒヴァの象徴とも言えるでしょう。
⑭ジュマ・モスク
ベージュに青の色彩が施されたミナレットが空高くそびえるジュマ・モスクです。
内部には213本の木の柱が並び、いにしえの森に迷い込んだかのような幻想的な光景が広がります。
柱一本一本には緻密な彫刻が刻まれ、最古のものは10~11世紀に遡ります。
この彫刻はヒヴァの伝統工芸の象徴であり、現在も多くの職人たちに受け継がれています。
砂漠の地で木彫りが発展したのは、かつて豊かに生い茂っていたニレの木のおかげだそう。
ジュマ・モスクの名は、イスラム教で重要視される金曜礼拝に由来します。
10世紀に建てられ、18世紀末に現在の姿となったこのモスクは、多柱式建築の美の極致です。
約3メートル間隔で立つ柱には、それぞれ異なる彫刻が施され、差し込む陽光が繊細な陰影を生み出します。
その光景は、時間が止まった神秘の空間に足を踏み入れたかのような感動を与えてくれます。
⑮カラーン・ミナレット
タジク語で大きい塔という意味を持つカラーン・ミナレットは、1127年に
カラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました。
高さ約46メートルのこのミナレットは、ブハラで最も高く、ブハラのシンボルとして知られています。
このミナレットは、チンギス・ハーンの侵攻にも破壊されず、現在までその姿を保ち続けています。
近くで見ると、統一された模様ではなく、少しずつ異なるデザインで
装飾されており、当時の建築技術の高さがうかがえます。
隣にはカラーン・モスクがあり、このミナレットとともに
ブハラの歴史と文化を象徴する重要な建造物となっています。
訪れる人々は、その壮麗な姿と繊細な装飾に触れ
ブハラの豊かな歴史と文化を感じることができることでしょう。
⑯アルク城
アルク城は古代ブハラ発祥の地とされ、歴代のブハラ王の居城でした。
13世紀にはチンギス・ハーンによる破壊を受け、再建と破壊を繰り返しましたが
現存する城は18世紀に再建されたものです。
約4ヘクタールの城内には、かつて一つの街が作られていました。
1920年にソ連軍とブハラ・ハン国の戦闘で焼失し、石造り部分のみが残っています。
正面入口はかつて囚人収容所で、現在は人形で当時の様子が再現されています。
内部にはモスク、博物館、王座の間があり、王座の間には「王に背を向けることが不敬」
とされていたため、入口近くに壁が設けられました。
博物館では古代から中世期までのブハラの歴史が学べます。
アルク城前のレギスタン広場は、歴代の王に反抗した市民が処刑された場所であったと言います。
⑰ミル・アラブ・メドレセ
ミル・アラブ・メドレセは、ウズベキスタンのブハラに位置する歴史的な教育施設です。
16世紀に建設され、中央アジアで最も重要なイスラム神学校の一つとして知られています。
青いタイルで装飾された美しいファサードと壮麗な建築様式は、訪れる人々を魅了します。
このメドレセは、かつて多くの学者や学生がイスラム教の教えを学んだ場所であり
現在もその歴史と文化的価値を伝え続けています。
ユネスコの世界遺産にも登録されており、観光客にとって必見のスポットです。
ミル・アラブ・メドレセを訪れることで、ブハラの豊かな歴史と文化に触れ
イスラム建築の美を堪能することができることでしょう。
⑱イスマイール・サマニ廟
中央アジアのイスラム建築の傑作とされているイスマイール・サマニ廟。
9世紀にサーマーン朝の2代目君主イスマイールが父親のために建てたこの霊廟に、彼自身や孫たちも葬られました。
サーマーン朝が滅びた後、土に埋もれていたためモンゴル軍などの侵略を免れ1925年に発見。
廟はイスラム教とゾロアスター教の特徴を併せ持ち、4隅のドームや4つのアーチ
火を焚く祭壇はゾロアスター教の影響をうかがわせます。
レンガの積み方だけでさまざまな模様が表現されていて、当時の幾何学がいかに優れていたかを教えてくれます。
レンガの凹凸がくっきりと見える廟の内部も見ごたえがあります。
⑲ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
17世紀当初、キャラバンサライという隊商の休憩所
として設計されたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。
後に美しいメドレセ(神学校)に改装されました。
ブハラ・ハン国の大臣ナディール・ディヴァンベギにより建造されたこの建物を見て時の王が
「素晴らしいメドレセだ」と喜んだため、メドレセになったという逸話があります。
このメドレセの大きな特徴は、正面の門に描かれた二羽の鳳凰と白い鹿、顔のある太陽の絵です。
偶像崇拝を禁ずるイスラム教の建築物としては非常に珍しいもの。
現在は定期的に伝統音楽や民族舞踊のディナーショーが中庭で開催されていて
訪問者にウズベキスタンの豊かな文化を体験させてくれます。
⑳チャハル・ミナール
ウズベキスタンのブハラに位置するチャハル・ミナールは
その美しい建築と歴史的な意義で訪れる人々を魅了します。
4つのミナレット(塔)を持つこの建物は、18世紀の建設当時はメドレセ(神学校)の一部でした。
ミナレットにはそれぞれ異なるデザインが施され、青や緑のタイルがきらめく装飾で覆われています。
ミナレットの上部には鮮やかな青色をした円錐形の屋根があり
細かな彫刻や模様がその美しさを一層引き立てています。
旅行者は、チャハル・ミナールの壮麗な姿を背景に写真を撮り、歴史の趣と景観美を堪能することができます。
周辺にはブハラの他の歴史的建造物や市場もあり、一日いても飽きることがありません。
まとめ
前記事と本記事を合わせてウズベキスタン旅行のおすすめ観光地20選を
ご紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
シルクロードの東西交易の中心地として
キャラバンが行き交うオアシス都市が文化を紡いできました。
サマルカンドやブハラ、タシケントの街々には
往時の面影が色濃く残り、訪れる者を歴史の旅へと誘います。
独特な形と繊細な装飾が美しいイスラム建築を訪れたり
バザールの語源にもなった市場に行っても良し!
20選で葉紹介しきれなかった名所やスポットもまだまだあるので
ぜひ一度足を運んで体感してみてくださいね!